こんにちは!ぷちこです(*´◡`*)
「料理は愛情」という言葉があります。
「愛情を込めた料理はおいしい」
「手作りこそ愛情だ」
「誰かを想って作った料理には愛情が込められている」
この言葉への解釈はたくさんあると思っています。
私は料理が大好きで、この言葉も子どもの頃から耳にしてきました。
せっかく大好きで続けていることだから、「料理は愛情」という言葉への私なりの解釈を書いてみようと思います。
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「愛情」を向ける相手は人だけなのか
食材への愛情
私は愛情を向ける相手は「子ども」、「夫や妻、パートナー」などの人に限られないと思っています。
肉や魚などの食材の命に感謝して、その命をおいしく頂くためには煮ようか焼こうか、さてはてどんな味付けにしようか、と考える。
魚は季節によって脂のノリが変わるから、その度に調理方法を変えるのだって愛情じゃないかな。
野菜も同じことで、おいしく頂くためには生のままサラダにしようかな?それとも炒めてみようかな、味が染みるように手でちぎってみようか。
そう考えるのもきっと愛情。
この間サラダにしようと買った大根が水分が少なくてパサパサな感じでちょっとがっかりしたんです。
でも煮物やおろしてスープにしたらおいしかった!
そうやって考えたり工夫しながら調理することも食材への愛情だと思っています。
調理器具への愛情
フライパンは焼くだけじゃなくて煮物も作れるけれど、そのことに気付くまで試行錯誤するのだってきっとフライパンへの愛よね。
このお鍋は煮込むのが得意だな、手入れは頻繁に必要そうだ、と鍋の得意不得意や手入れの方法を理解する。
料理には愛が溢れてるね。
私はなんとなくプラスチック製品が苦手で、まな板やヘラは木製のもの、容器もなるべくホーローやガラス製の物を使います。
(もちろんプラスチック製のタッパーとかも使うよ)
木製のヘラは使い終わったら洗って乾かさないとすぐに変色するし、カビが生えてくることもある。
だから洗い終わったあとによーく乾燥させます。ガラス製の容器は温度変化に弱いし割れやすい。だから取り扱いにちょっと気を使う。
人によってはそんなの面倒くさい、プラスチック製の物を買えばいいじゃない、と思われてしまうかもしれない。
けれど私はそうしたいし、こういう愛情も私が料理を楽しむうえで必要だと思うのです。
愛情は人それぞれですね。
愛情は返ってくるとは限らない
食材にしても調理器具にしても、人だってそうだけど、かけた愛情が返ってくるとは限らない。
これは私が料理をするうえで忘れないようにしていることです。
この魚は焼いた方がおいしそう!と思っても、食べてみたら煮た方がよかったかも…という結果になることもある。
料理には失敗がつきもので、思った味が作れなかったり、食べられないレベルでの失敗もする。
料理を長く続けているからこそ、失敗の数もたくさんあります。
海水並みにしょっぱいスープや、なぜか魚のように生臭い野菜炒め、火の通っていない鶏肉でお腹を壊したこともある。
学生時代の冬に鍋を作っていて、鍋ごと焦がしてしまって危うくボヤ騒ぎになるところだったこともあります。
おいしい料理を作りたい!と愛情をかけても、必ずしも「自分の望んだ結果」として返ってくるとは限らない。
これは人に対しても同じこと。
夫においしい料理を作ってあげたい!と張り切ってみても、「好みじゃない」、「おいしくない」と言われることもある。
愛情は必ずしも自分の望んだ「おいしい」という結果として返ってくるとは限らない。
結婚したばかりの頃にアジフライと一緒にタルタルソースを作ったことがありました。
喜んでくれるかな~とわくわくしていたら「ソースが好きだからいらない」と言われました。
(もう少しオブラートに包まれていたけれど)
「せっかく作ったのに!」とイラッとして、悲しくもなった。
それは「喜んでほしい」という気持ちがあったからだけど、それは私(作り手)のエゴで、「せっかく作ったのに!」と口に出した途端に「好意」ではなくて「好意の押し付け」になってしまうと思うのです。
このことを理解するまでに時間がかかったけれど、ソースで食べたいというのは夫(食べる人)の好みだし、それもアジフライをおいしく食べるための夫(食べる人)の「愛情」なのかもしれない、と思うのです。
愛情って難しいね。
大切なのは愛情を否定しないこと
料理に失敗したり、「おいしい」という言葉や「望んだ結果」が返ってこなかったとしても、「愛情」を否定しないこと。
これも私が忘れないようにしていることです。
失敗しても食材や人に対して愛情があったことには変わりがないし、上達しない、おいしいという言葉が返ってこない時も同じ。
どうしても結果だけに目を向けて悲しくなったり腹を立ててしまうけれど、「こんな料理を作りたい」、自分や誰かの為に「料理が上手になりたい」、
「おいしいという言葉が聞きたい」という愛情があったことは忘れないようにしたいし、「失敗する≠愛情がない」、「上達しない≠愛情がない」「おいしくない≠愛情がない」ではないと思っています。
大切なのは、自分の持っている愛情を否定しないこと。
これも私が料理をする上で必要なことです。
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まとめ
色々と書いてしまったけれど、ここに書いたのは私なりの解釈なので、料理に対する愛情にはいろんな形があっていいと思います。
時間をかけて作った料理にはその人の愛情が込められていると思うし、時短料理にだってその人なりの愛情が込められていると思います。
高級な食材を使った料理も、節約して作った料理も、味の濃い料理も薄い料理も、みんな何かしらの形で愛情があるんじゃないかな。
それを人と共有出来る時もあれば出来ない時もあると思うけれど、共有できないから否定する、というのは私はしたくないです。
そういう部分も含めて、料理は奥が深いし好きなんです。
この記事を書くにあたり、「料理は愛情」という言葉に対するたくさんの人の解釈や意見を読ませて頂きました。
なんだか料理と人生は似ている部分がたくさんある気がします。
物事への捉え方や感じ方、こだわりも含めていろいろと。
料理も人生も、奥が深いですね。
みんな違ってみんないいよね。
あなたの料理への愛情を大切にしましょ♪
(上から目線な発言に思えたらスイマセン)
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。